臨済宗妙心寺派 法城山 護国寺 元住職(閑栖)ブログ

長野県伊那市にある臨済宗妙心寺派 法城山 護国寺の元住職ブログです。元住職のオリジナル法話や詩を紹介しています。また、法話会やテレホン法話、お経会等の活動をしています。講演依頼も承ります。
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死期が迫っている人の希望2
 あの世に家が建っているということをご存じでしょうか。

 その家は、この世でどう生きたかにより、善を積んで生きた人の家は、立派であると言われています。死んでその家に帰ると、玄関の表札に自分の名前が書いてあって、その家を見て、自分が生前どんな善を積んだかを知るわけです。

 できれば、心地よい家が立っている世界へ帰りたいものです。

 そう、この世でも家を建てるのは大変なことなのですから、あの世だって、大変なのです。
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死期が迫っている人へ希望
 7番目の疑問です。

 死期が迫っている方にどのような希望が持てるのでしょうか。
 
 こんな疑問です。
 
 この世で終わりで、あと何も残らないと考える人にとっては、まったく希望は持てないでしょう。今まで学んできた事は水の泡と消えてしまうし、美味しいものも食べられないし、音楽もきけない。美しい自然も見ることができなくなってしまいます。友とも家族とも会えない。そんな死んで後の世界であるならば、夢も希望もありません。

 実際にあの世があるのですから、前述したことは起こりようがありません。善を積んで生きた人は、あの世でも美味しいものが食べられ、音楽も聞けて、美しい桜の花も見ることができます。

 希望をもって死んでいきましょう、というのは少し変かもしれませんが、実際には、そうなのです。
08:16 | 死について | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
信仰深い人は楽に死ねる?3
 西行の歌に

 願はくは花のしたしにて春死なん そのきさらぎの望月のころ

 という歌があります。

 きさらぎは2月で望月の頃は15日を意味していて、お釈迦さまが亡くなられた2月15日に死にたいになります。

 これは旧暦ですので、今ではちょうど桜の花が咲くころになります。西行は実際に2月の16日に、73歳で亡くなっていきました。
 
 それを知ってみんな驚いたといいますから、信仰心があり、常に、いつ死にたいかの願い(心の力)を持っていきれば、きっと西行のように、亡くなっていけると思います。
 
 先人が教えてくれる、逝き方です。
16:22 | 死について | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
信仰深い人は楽に死ねる?2
 善を積み、信仰深ければ、楽に死ねる確率は高いでしょう。
 もう一つは、心の力を使うことです。

 先日テレビを見ていたら、長野県の飯田市にある、貧乏神神社のことをやっていました。全国から、何人もお参りにくると報道していました。

 そこには、貧乏神の像があって(ほんとうに、貧乏神みたい)、そのまえに太い木が立ててあります。その木に向かって、棒で3回「貧乏神出てけ、出てけ、出てけ」と言いながら、思いきり、たたくのです。

 心の中にある貧乏という思いを、この行為によって、追い出すのだそうです。

 周りには全国からお礼にきた手紙や志が張ってありました。

 これは心の力を使って、貧乏を追い出す方法として、納得のいくものがあります。

 同じように、心のなかで、楽に逝ける、楽に逝ける、ぽっくりいける、と思って暮していると、やがてそうなるということです。

 逆に寝たきりになる、ボケる、なっどといつも心配していると、おそらくそうなることでしょう。
 心の力は、以外に大きな仕事をするのです。
08:23 | 死について | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
信仰深い人は楽に死ねる?
 疑問の6番目は「信仰深い人は楽に死ねる」です。

 ユングという心理学者は、死の練習に20年かかると言っています。20年、死の準備をして、楽に死ねるということです。
 
 信仰にもそれぞれあって、深さも違います。ただ神頼みの日々では、楽には死ねません。

 お釈迦様は、「善を積んだ人は、死のときは楽しい」と言われていますので、日々生きているときに善を積み、暮すことが楽に死ねるコツかもしれません。

 また死後の世界を信じて、見えない神仏が、必ず救ってくださると念じ、生きているときにも神仏に恥じない生き方をしていれば、死ぬ時は楽でしょうし、ほほえみをたたえて逝けることでしょう。
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日本人は無信仰2
 無信仰の一つに、私たち人間はアメーバーから進化してきたという考え方があります。それも偶然に、です。

 ほんとうに偶然に、一つの細胞から進化してきたのでしょうか。鳥でも、どれだけの種類があるかわかりませんが、それが偶然に進化し、いま現在の状況があるのでしょうか。これを信じる、そうだと思うほうが、軽率のような気がするのです。花でも、木でも、魚でも、もちろん人間でも、みな創造したあとがあるように思えます。

 アメリカではインテリジェントデザイン、すなわちID学説が出てきて、これだけの整った世界は、だれかこの世をデザイン、すなわち計画して創ったという考え方も出てきているようです。

 信仰の世界では、神がこの世をお創りになった、と信じることですが、私自身は神仏がこの世を創り、私たちも創り、常に守り、あらしめていると思っています。

 神仏がよしとしなければ、私という存在は無くなってしまい、それを許している存在があると信じています。

 きっと動物の神様がいて、たくさんの動物を創造し、この世にお出しになったのです。

 禅では、自然の営みの中に、仏の姿を見、仏の声を聞け、と教えています。これも、神仏が、この世を創造したからこそ、出てくる教えではないかと思っています。
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日本人は無信仰1
 今まで宗教教育のことで、中学生のお話から、子どもの時から正しい生き方、真理を教えることの大切さを考えてきました。

 ある討論かでの7つの疑問の、5番目に戻ります。

 5番目は「日本人は本当に無信仰なのでしょうか」という疑問です。

 東大寺ができたのは745年で、聖武天皇のときです。昔、さだまさしが東大寺の前で、コンサートをしたとき、ちらっと見たことがありましたが、それを考えると、大仏様も大変だなあと思ったことがありました。

 当時は信仰があって、あれだけのものを建立したと思います。平安のころの人たちはあの世のことを信じていましたし、オカルト的なものを素直に信じていました。

 しかし、現代の人は、あの世の世界も信じる人が少なく、ましてや神仏を信じ、毎日礼拝して、生活している人は、とても少なくなったと思います。
 
 この意味で、無信仰な人が増えたことは確かです。ですから、犯罪も増え、子どもが親を殺し、親が子供を殺す事件が多々報道の中にでてくると思います。
 
 また家族形態も変化し、核家族で、お仏壇のない家が増え、それも無信仰に通じていることであると推測します。
 
 しかし、神仏がこの世を創り、私たちを生かしめている事実には変わりありません。

 偶然にこの世はできたのか。偶然に私ができたのか。あるいは、神仏がこの世をお創りになったのか。次に書いてみます。
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二つの大切な命8
 植物も生きている、というお話をして、2年生の女の子が、こんなことも感想で書いてくれました。

 植物もちゃんと生きていることを聞きました。危険を感じて反応しているということを知りました。

 私は緑化委員なので、毎日花に水やりをしています。もし植物がそれを覚えていて「危険」じゃあなくて、喜びや嬉しいとか、そういう反応も出してくれているかもしれないと思うと、ちゃんとていねいに忘れず思いをこめて水をあげないと、と思いました。

 植物も生きていて、感情を持っているといいます。ですから、むやみに殺したりしてはいけない、ということです。

 みんな素直な聞き方で、小さいころから、読み書き計算ばかりでなく、心の問題も教え導いていかなくては、と思いました。
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二つの大切な命7
 宗教教育の話が、ここまできてしまいました。

 私が中学校でお話しした、みなさんの感想を少し載せてみます。
 一年生の女の子です。

 身体の命、心の命などたくさんのことを教えていただいて、たくさん感じたことがありました。

 まずは身体の命。私たちは命をもらって生きているのだと知って、なんだか複雑な気持ちになりました。食べるということは、動物や植物を殺すことでもあります。

 卵ではまだ産まれたばかりの命を殺してしまったり、植物も果実がついたらすぐ食べてしまい、まだ生きられるのに、私たちがいただいていることが、自分のなかでこわい気持ちになりました。

 でもその分「ありがとう」という気持ちになりました。いつも気にしないで食べ物を食べていましたが、今度からは「感謝」の気持ちを忘れず、大切にいただきたいと思います。

 よく「食べ物で遊ぶな」と聞きますが、そのとうりだと思います。命をいただいているのに、遊ぶなんて、私には考えられません。せっかく命を頂いているのに、、命を無駄にしていることと同じことです。

 もう一つの心の命で学んだことは、良い食べ物があり、悪い食べ物があるということです。良い食べ物は、誠実さ、思いやり、やさしさ、努力などがあると教えていただきましたが、そのとうりだと思います。

 だけど、悪い食べ物で、欲張り、悪口など、食べてはいけない食べ物だと分かっていても、食べてしまうことがあります。

 それによって人を傷つけたりイヤな思いにさせてしまいます。

 私はこれから、悪い食べ物は食べないように、したいと思います。もし食べてしまったら、良い食べ物を何倍も食べたいと思います。

 一年生の感想です。
 次に、2年生の感想を書きます。
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二つの大切な命6
 前回、心の命が生きている、動いているというお話を致しました。であるならば、心の命にも食べ物がいるわけです。

 身体の命は食べ物を食べていかないと死んでしまいますし、毒入りギョーザなど食べると、すぐ身体をこわして寝込んだり、死んでしまうこともあるでしょう。

 心の命もそうで、毎日食事をしないと、心が死んでしまうし、毒入りの食べ物を食べれば、心の命が病気になったり、死んでしまうこともあるかもしれません。

 心の食べ物で栄養のある食べ物は、誠実さであったり、思いやり、やさしさ、努力、穏やかさ、信頼などです。そんな食べ物を、心に食べさせてあげるわけです。ここで食べるというのは、常に心に語りかけ、そうあろうと日々努力することです。

 毒のある食べ物は、欲ばり、悪口、ウソ、疑い、嫉妬などたくさんあげられます。そんな食べ物を食べさせていると、心が病気になってしまうわけです。
 具体例を出して、こんな話をし、中学生の子どもたちが、どう感想をもったか、です。
 次にまた書きます。
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