「この世は、仮の宿であることを知る」
この世が仮の宿という考えは、 仏教の基本的な考え方です。 でも、 現実に手に触れ耳に聞き、 目に見えて、 すべてが確かに「ある」のですから、 信じられないかもしれません。 ですから、 この言葉は悟りの言葉なのです。 この真理を悟って生きるか、 信じないか、 やがて分かるときがきましょう。 信じない人の嘆きは やがて 大きなものとなると思われます。
「お金は、困らないと思っている人に回ってくる」
困った困ったと言って、 人は万引きをしたり詐欺に走るのです。 困った困ったといって、 困ったことを引き寄せているのです。 困らない、 私は絶対に裕福なのだ、 と思っていると、 豊かさが引き寄せら、 やがてそのようになってきます。 不思議な 心の法則です。
「貧乏を愛すれば、貧乏になる」
いつも私は貧乏だとか、 お金がない、 貧乏暇なしと言っていれば、 そのようになります。 貧乏から解放されたいのなら、 お金には困らないと思うことです。 貧乏を愛すると、 自分も家も そして国も貧しくなっていきます。 この法則は、 結婚できない、 優しくなれない、 仕事ができない、 みな共通していきます。
「咲くことを静かに念じて、桜が咲いた」
桜がお寺でも開花しました。 一年の長い時間を経て、 やっと咲き始めた桜。 散ってから、 来年も咲こうと思って、 準備をしていたに違いありません。 人も同じで、 一つのことを成し遂げたいと 思い続け、 準備を怠らなければ、 きっと成功という花を 咲かせることができましょう。 自分の花、 どんな花を咲かせますか。
「結果を焦らず、たんたんと努力することだ」
人はすぐ結果を求めがちです。 政治は結果がすべてといいますが、 それでも、 日々の努力がなければなりません。 努力即幸福であると、 本多静六さんが言われましたが、 結果に至る 努力の日々が 幸せなのかもしれません。 頂上に至る 山道の景色がいいのです。
「手を洗うように、心も簡単に洗えたらと時々思う」
昨日も「清らさ」で書きましたが、 心は汚れやすく、 不平不満の大軍が いつも襲ってきます。 手を洗えば すぐ手はきれいになります。 心は 反省の水で洗い流します。 素直な自分が 身勝手な自分を見つめます。
「人はときどき、清らかなものに触れることが必要だ」
毎日の忙しさで、 大切なものを置き去りにしやすいものです。 それは 清らかさです。 本来は 清らかな心を持っているのに、 しだいに汚れてきて、 乱れた思いに慣らされていきます。 たまには ウグイスの声に耳をすませてみたり 可憐な花を見て、 心の清らかさを取り戻すことが大切です。
「幸せになりたいならば、 感謝の思いを深くすることだ」
中には 幸せになりたくないという 人もいらっしゃるかもしれませんが、 多くの人は 幸せを望んでいることでしょう。 幸せは 山の彼方から飛んでくるのでなく、 感謝を深くすれば、 自ずと目の前に洗われるものです。 幸せは 自らが作りだすものであるという ゆえんです。 ためしに やってみてください。
「不幸になりたくば、 こんなに私がしているのにと思うことだ」
不幸になりたくて 生きている人はいないと思いますが、 なぜ不幸なんだろうと 疑問を持つ人は多いかもしれません。 その不幸になる一つの原因が、 「私はいつもあなたのために、 こんなにしてあげているのに!」と 思っているところからきています。 してあげることが 必要とされる人間になっていることを 知らずにいるのですね。
「必要とされるのならば、まずこちらから与えることだ」
奪うばかりでは、 嫌われる一方です。 それは あなたは必要ないと 言われていることと同じです。 必要な人間になるには、 こちらから させていただくことです。 そんな私が急にいなくなれば、 まわりの人たちは 大変困ります。 与えて、 させていただいて 必要とされる私になることです。 幸せにきっとなれます。
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